さいきん

自分が無理をしているな、って感じます。

 

ところで私は占いをあんまり信じる方ではないんですが、たまたま見た占いが当たりすぎていてなんかもう、衝撃。たまにあるよね、こういう事。

占いいわく、好きなものが本当に好きなのか分からなくなる時期だそうです(笑)

 

好きなものが好きかわからなくなってるわけではないよ。普通に好きです。今でも推しのことが好きです。舞台が好きです。きらびやかな世界が好きです。私を非日常に連れて行ってくれるあの空間が大好きです。

 

でも、私のやってることに意味があるの変わらなくなってきました。

本当は答えは決まっていて、私がやりたいなら、意味があるんです。好きだから、会いたいから、それだけで意味がある。

でも好きだけど、会いたくない、この場合は意味があるのかな。

通う事もお花もプレゼントも手紙も全部全部自己満足って分かっていてそれでも「推しのために」ってそう思い込んできて。たぶんね、そう思わないと自分が壊れちゃうのかも。誰かの為にっていう自己犠牲。自分の為っていうとなんかエゴイスティックな感じするけど、推しの為って言うと許される気がする。多分そうやって免罪符のように、推しの為、推しの為、って言ってきた。自分の心に嘘つくためなのかなー。推しの為だから仕方ないっていろんなことに目を背けてきた気がします。自分がやりたくないこととか、そういうものに。

推しの為だから頑張れるってそう思えてきたこともあるし、感謝もしてる。結局依存してるのは自分です。そんなの最初から分かっていたことです。

 

ありがとうって一言言われたくて。必要とされてるっておもいたくて、ただそれだけだったのかも。お金と時間を渡すことで、自己肯定欲を満たしてもらっていたのかも。

でもどちらも限界があるよね、きっと。

あっちももう嫌だって思う事もあるだろうし、私ももう嫌だって誤魔化してきたし、ずっとそんな感じ。

 

どうせ好かれることはないとも思ってきたし、でも嫌われたくはないとも思ってる。言いたい事我慢してきた。でも言ってしまったこともある。傷ついたこともあるし、傷つけたんだろうなってこともあるし。でもお互いそのことを言わない。私は時々伝えちゃうけど、あっちは言わない。選ぶ。それは私がお客様だから。ファンだから。知ってるけどその距離感が寂しいなーとは思う。

いつから会いに行くことに義務感を覚えてしまったんだろう。

舞台を見ることに義務感を覚えてしまったんだろう。

観たくないのに観に行くことを自分に強制しているんだろう。

推しが好きだから私も好きにならなければいけないなんてそんなわけないのにね。

私はいつもそこに引け目を感じてしまう。

ブログやツイッターや直接言葉で肯定的な言葉を聞くたびに、自分はそんな風に思っていないのに肯定しなければいけない気がしてそれがいつもいつも辛かったです。

私は私の考えを持っていて、それを捨ててまで相手に同調しなければいけないってどこか思ってた。多分今でも思ってる。思ってる。捨てきれない。捨てたら楽になるのにな。

例えばカーテンコール。最前列の真ん中に座っている。周りのお客さんはスタンディングオベーションでキャストを迎えている。私は立ちたくない。だってこの舞台にそんな価値が見いだせなかったから。でも、立たないといけない。だから無理やりたつ。最高の賛辞を伝えたいなんて微塵も思っていないのに。私は立ってしまう。

その矛盾にいつも心が痛い。私は違うのにっていつも思ってる。きりきりきりきりいたい。自分の思ってることと反することをしてしまってることが辛い。

 

少しお休みしたら全部行かなきゃいけないとかそんな風に思わなくて済むかな。何時からこんな考えになってしまったんだろう。

戻りたいなあ。